SURPLUS

1960年代後半、単身アメリカに渡った老川輝久氏は、当時全盛だったアメリカヒッピーカルチャーを身をもって体験し、今後日本でも必ずJEANSが流行すると確信しました。
日本に帰国後の1971年、渋谷明治通りにたった3坪の「オイカワパンツショップ」をOPENします。当時の明治通りはまだショップなどほとんどなく、現在の流行発信地的な存在になるなど想像すらできない街並み。ここでサープラスの元祖が生まれたのです。
その後、1979年に㈱サープラスを設立し、オリジナルブランド「サープラス」の展開が本格始動します。

 

SURPLUS

当時のトレンドは、BEAMSやSHIPSなどを筆頭にIVYの全盛時代。そんな状況の中、サープラスはオトコ服の基本となるサープラス色の強い製品作りを貫き通します。

サープラスのブランドを作るにあたりベースになった発想は、やはり60年台~70年台初頭のアメリカ。ベトナム戦争に反対する若者達が意思表示したヒッピースタイルが大流行していた時代です。
その若者達の想いを込め「SURPLUS(放出する、軍隊の放出品)」をブランド名に取り入れました。ブランドマークも、UNIFORM、WORKWEAR、TOUGH等のイメージを盛り込んだものでした。

また、サープラスのコンセプトは一貫して「ハイスタンダード&リーズナブル」。これは創設者老川氏の経験から、若いうちは着飾るのではなく、もっと自分を磨く何かを模索すべきであり、だから若者の服は安くあるべきとの持論が反映されています。その持論を具体化するため、彼は「ハイスタンダード&リーズナブル」をコンセプトにしたオリジナルの物作りにこだわりました。結果、徐々にメディアにも注目を浴び始めます。

オリジナル商品の第一号は、アメリカの若者がベトナム戦争に反対し、その思想をファッションに表したというダンガリーのシャツ。洋服によって自己主張するというスタイルが定着していく、との確信からチョイスされました。

その後徐々にオリジナルの比率を増やしてゆきます。カットソーのみの商品構成でしたが、布帛のシャツ、アウター、小物等も充実。また全体の約7割をクオリティ重視のために国内で生産していました。カットソーについては、その大半を墨田区で個人創業している委託工場で生産していました。小規模でしたが縫製技術が非常に優れていました。いまだに着ている人がいるほどタフな物作りで、評判もかなりのものでした。その中でもSWEAT SHIRTSは特に評判が良く、「SURPLUS SEMINARY 616」のロゴのアイテムは大ヒット商品となりました。

その後売上が伸びるに伴い、渋谷、原宿、蒲田、大宮、自由が丘等への出店が進み、フランチャイズを含め(熊本、静岡、浜松等)17店舗ほどの規模に成長。店舗運営をするなかで、「アメリカ」を意識し、細部にもこだわりました。例えばショッピングバッグは、アメリカのスーパーで実際に使っている、紙の丈夫な袋を特注で製作していましたし、小物アイテムについても同様に別注して作らせていました。そして時代は本格的なアメカジブームに突入してゆき、サープラスの存在感も不動のものになってゆきます。

1990年初頭、MA-1ブームがありましたが、市場にALFA社製の製品しか流通しておらず商品がショートしている状況でした。そのため相当の注文が入ってきたこともあり、急遽韓国で生産、ワンシーズンで2万枚を超える大ヒット商品となりました。正にアメカジブランドではトップの地位を確立したのです。ちなみにMA-1の定価は11,800円でした。

様々な情報が氾濫し、若者のファッションに対する価値観も多様化してきましたが、節目節目でMA-1、M-65、シュノーケル等のアイテムがヒットしてきたのも、ファッショントレンドのひとつにサープラス系アイテムが定着している証拠ではないでしょうか。
その第一人者のこのブランドが長い間支持されてきたのもうなずけます。時代が変化しても普遍的なデザインはその時代を生きる若者の間に新鮮に映るものなのでしょう。